共生社会の創り手に
【3学期校長講話】
あけましておめでとうございます。今日から3学期が始まります。今朝、東の空にまるく虹がかかっていたのを見た人はいますか。始業式の朝に、何かいいことが起こりそうな気持になりました。
3年生は、大学入学共通テストまであと1週間、まずは体調を整え、これまで積み重ねてきた実力を発揮することを期待しています。熊女の制服を着るのもあと約15日、3年だけでなく全校生徒の皆さんも、一日一日を大切に過ごしてください。
さて、2学期の終業式で 国際協力の話から、国と国との信頼関係も、人と人との信頼関係と同じであり、相手のことを思いやりながらコミュニケーションをすることが大切だという話をしました。
今日は 共生社会について話をします。
昨年のテレビドラマで、「Silent」というのを見ていた人はいますか。目黒連さん、川口春奈さんなどが出演していて、主人公の耳が聞こえなくなる先天性の病気にかかることからストーリーが展開していきます。普段あまりテレビを見ないのですが、私が興味を持ったのは、この難聴という障害について、テレビではどう表現しているのか気になりました。以前、特別支援学校に勤務した経験があり、障害のある方から見るとまだまだ日本社会は多くの偏見があり、障害者に優しい社会ではないと感じていました。テレビ番組で間違った印象が広がることを心配しましたが、作家が元看護師さんということもあり、とても丁寧に描かれていて安心しました。
このドラマでよかったと思うことは、主人公をとりまく人達がそれぞれ違うアプローチで相手を思いやるコミュニケーションをしていたこと。聾者とのコミュニケーションというと手話がまず思い浮かぶ人が多いと思います。しかし、筆談やスマホを使うコミュニケーションもあります。それぞれが相手を思いやりながら違う手段でコミュニケーションをとっていたことが印象的です。
語学でも同じですが、英検1級を取得しているからといってコミュニケーションが取れるわけではない、大切なのは話すべき内容を持つこと、それには相手のことに興味をもって、相手のことを考えた言葉のキャッチボールができることが大切です。
ところで、聴力に障害がある人のことを「聾者」呼びますが、反対語は何かわかりますか。
テスト問題の回答ならば「健常者」と答えると思いますが、私は少し違和感があります。
ドラマでは、聴力がある人を「健常者」ではなく「聴者」という言葉を使っていました。聞こえない「聾者」に対して、聞こえる人は「聴者」。単に聴覚能力の有無を表す言葉です。つまり、聞こえる人を「健常」とか「健聴」のように、わざわざその状況を「健全である(裏返せば、聞こえないことが健全ではない)」と表現する必要はないと思うのです。
人間は誰もが球体のように平均的にバランスが取れているわけではありません。誰もいびつに得意なことや不得意なことがある、それこそが健全な状態です。もし、周囲に苦手なことで困っている人がいて、自分ができることがあれば一緒に取り組めばいい。そうすれば、自分が困っているときもきっと手を差し述べてくれる人が現れるでしょう。一人ではできないことも、協力すればきっとできる。そんな人間関係を作ってください。
一人一人が互恵的な人間関係を作ることが、未来の共生社会の実現に繋がっており、皆さんにはそうした社会の創り手になってくれることを期待します。